1 2 3 4 5 2005.4.3 近江八幡 水郷巡り 7
前日の天気予報では何度見てもかさマーク、雷もありというので、役員一同心配しておりましたが、
出席された皆様の日頃の行いのおかげか、晴れ間も見えるお天気になりました。
JR近江八幡駅に集合のあと、すぐにタクシーで水郷めぐりの船着場へ。 平均年齢が70歳という船頭さんがゆっくりと漕ぐ船の上で、魚や、貝や丁字麩の郷土料理が入ったお弁当をいただきながら
都会の喧騒を離れ,のんびりと水郷めぐりを楽しみました。 時々聞こえるウグイスの声や、カイツブリのかわいい姿に船の中は大騒ぎ。桜はまだ蕾でちらとも咲いていなかったけれど、
岸辺には菜の花や、レンゲソウ、ホトケノザなどが咲き、つくしも見える。「春が来たー!!」と叫びたいぐらいに幸せな気分。
近江八幡の伝統的産業の瓦を展示してある『かわらミュージアム』で今日の案内をしてくださる観光ボランティアガイドの吉田收男さんと落合う。
湿地帯の粘土が瓦の材料に最適だったため、近江八幡は瓦の一大生産地となり、重たい瓦も水郷を利用して運搬が楽に出来たそうです。
そして足元を見ると広場には瓦でできた大きな鯉が泳いでいます。
つづいて、千年以上の歴史を誇る日牟禮八幡宮へ。 この神社は昔から近江商人の絶大な信仰を集め、海外で活躍した近江商人が奉納した重要文化財も多く保管されています。
ロープウェイで八幡山の頂上まで上った時には、それまで降っていた小雨も止んで薄日さえ差し、先ほど巡った水郷や、碁盤の目のように
整った近江八幡の町、向こう岸が見えないほどに広がった琵琶湖を一望できました。
そして、18歳でこの町を作り、23歳で天下を任され、28歳で切腹させられた豊臣秀次の悲しいお話を聞き、歴史に思いを馳せました。
そのあと、時代劇のロケにもたびたび使われる情緒ある八幡掘を見て、近江商人の家が残る新町通へ。西川邸には、日本に2つしかないと
いわれている3階建ての土蔵があり、茶室、お庭、屋根付き回廊など古い日本建築が残されていました。次に訪れた伴庄右衛門邸は表街道から見ると2階屋でも中に入ると3階建の家屋で、今ではどんなにお金を出しても手に入らないという
太く大きな柱や梁を使い、当時の近江商人の財力をしのばせる、見ごたえのあるお屋敷でした。
近江商人西川利右衛門の家訓「先義後利栄 好富施其徳」(義を先にして、利を後にすれば栄える、冨は好むのは良いことだが、冨を得たら、
人のために広く施せという意味だそうです。)にも感心させられました。 また近江商人は三方良しを尊ぶ(買う人にも売る人にも世間もにみんなに良いという意味)とボランティアの吉田さんが話してくださいましたが、
まさに其のとおりのことをすぐ後で経験するとは思いませんでした。
今日の観光予定を全部終わり、ボランティアの方とも別れて、旅の最後に滋賀県でとても人気のあるお菓子屋さんの「たねや」さんで疲れを休めようと お店に入った途端に大粒の雨と雷、なんて私達は付いているのでしょう!!
40分ほどお茶を飲んだり、あんみつを食べたりしてもまだ雨が止まないので、タクシーを呼んでいただきました。
4台のタクシーに分乗して近江八幡駅まで乗りましたが、なんとタクシー代金は『タダ』 「たねやさんにいただいてますから」という返事です。
みんなしばし呆然。 だってお茶代は5,565円しか払ってないのに、タクシー1台1,000円ですから、4,000円分タダなんです。
これぞ近江商人の心意気ですね。みんなすっかり「たねやさん贔屓」になりました。
今年もなんとか無事に『良か女の会』を終えることが出来ました。 来年は川上先輩(33文英)が京都府八幡市の松花堂庭園散策とお昼には吉兆のお弁当を予定して下さっています。
毎回来てくださる方も初めての方もなぜか懐かしくすぐに打ち解けられるのが『西南良か女の会』です。
参加してくださった方々ありがとうございました。 そしてお疲れ様でした。
記 道菅まり
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水郷巡り船乗り場で | 葦のなかを手漕ぎ舟で | まるで時代劇の舞台 | 寒いので綿入れを着て | 手漕ぎ舟の音が心地よい |
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鬼瓦に注意 | かわらミュージアム | 足元に鯉 | 歴史ある 日牟禮八幡宮 | 村雲御所瑞龍寺 |
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八幡山頂上で | 八幡山から市内を見る | 明治に建てられた白雲館 | 八幡堀散策 | 右の柳は時代劇のロケ地 |