1 飛鳥を歩く
写真が届きました 2009/06/22 撮影は永野洋氏と理事の山田
日 時: 2009年6月21日(雨天順延)9:30集合
集合場所: 近鉄橿原線「橿原神宮前駅」
持参装備: 弁当、お茶、替上下着、雨具、その他
会費 : 500円
亀型石造物
コース : 飛鳥も、歩くにはあまりに広いので、今回は橿原神宮前駅から推古天皇即位の豊浦宮を皮切りに、甘樫ノ岡、水落遺跡、石神遺跡、酒船石、飛鳥浄御原宮(飛鳥板蓋宮)、河原寺、亀石、欽明天皇陵とめぐって、飛鳥駅まで約6kmを歩きたいと思います。散策路については、当日「飛鳥パスポート」と地図をお渡しします。
蘇我氏が有力になると、飛鳥はにわかに政治・経済の中心地となり、新しく受け入れられた仏教文化は、この地にはじめて開花した。天皇の宮、豪族の館・邸宅、大寺院などが建ち並び、日本の古代国家は、飛鳥を中心に形作られて行く。飛鳥地方には、古く4,5世紀に応神天皇や允恭天皇の宮があったと伝えられ、6世紀前半には顕宗・宣化天皇の宮がつくられたようだが、飛鳥に次々と宮が作られるようになったのは、推古天皇の豊浦ノ宮(とゆらのみや/とようらのみや)からである。宮は、初め天皇の住まいが主で、同時に政治の場を兼ねていた。天皇の代が代わるごとに移され、一代の間に2,3回移ることもあった。国家体制が整備されるに従って、中国の制度に習い天皇の住まいの他に多くの役所が宮の中に建てられるようになり、やがて宮の周囲を市街が取り囲み「京」と呼ばれるようになる。593年、推古天皇が飛鳥豊浦ノ宮にて即位し、以来約100年間、歴代の天皇は宮を飛鳥の地に集中的に営み、飛鳥は政治の中心地となり、大陸の先進文化を摂取し斬新・華麗な飛鳥文化が花開いた。この宮の時代に飛鳥寺が完成する。仏教が盛んになり、各豪族が競って寺院を建立する。つまり飛鳥時代とは、先立つ古墳時代の後を受けて、これらの「寺院」と「宮都」が形成されるようになった時代と言える。そしてそれは、「寧所にいとまあらず」という戦乱と混乱の古墳時代に終わりを告げて、中央集権を基盤とした「大和朝廷」がその権力構造を盤石のものとしてゆく時代であるとも言えよう。 (了)