飛鳥を歩く


写真が届きました 2009/06/22 撮影は永野洋氏と理事の山田

近鉄橿原神宮前駅でコースの説明をする筑前さん→ 剣池(石川池) 応神天皇(第15代天皇)の頃の潅漑用水池→ 孝元天皇陵へ
孝元天皇は第8代天皇→
孝元天皇陵
陵形は前方後円→
筑前さんの説明を聞く 晴れ男の筑前さんと永野氏のおかげで晴れ
豊浦寺跡(現向原寺)
603年推古天皇が建立 仏教伝来の場所 
豊浦宮(とゆら)遺構
豊浦宮は日本最初の女帝推古天皇の宮(第33代天皇)→
盟神探湯(くがたち)裁判の一種 の説明板→ 難波池 物部尾輿が仏像をこの池に投げ込み、その仏像が長野善光寺のご本尊となる→ 昼食は甘樫丘で そこからの眺め→
甘樫丘を下りてアイス→ 飛鳥寺 596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺→ 日本最古の飛鳥大仏
渡来人の仏師、鞍作鳥(くらつくりのとり)の作と伝えられる
聖徳太子孝養像 太子16歳の時父用明天皇のご病気回復を祈願されている姿です→ 蘇我入鹿の首塚 中大兄皇子と中臣鎌足に殺された入鹿の首がここまで飛んできたそうです→
亀形石造物 亀の形をした導水・水槽施設.で斉明天皇の頃作られる
酒船石で休憩 女帝斉明天皇は大土木工事を好んだそうです→ 伝飛鳥板蓋宮跡 大化改新の舞台。飛鳥の真ん中にあり、石敷き広場や石組みの井戸などが復元されています→ 川原寺 『めのう石』(白大理石の礎石)で有名→ 川原寺の住職さん名調子 参加者はお話に引き込まれる
亀石 顔が三角形で目が上に飛び出していことからその名がつく。亀というよりはカエルという人もいるそうです→ 鬼の俎(まないた) 鬼が旅人を捕らえて俎(まないた)で調理したという伝説の地 → 鬼の雪隠 食べた旅人を雪隠(便所)で排出したそうです→ 欽明天皇(第29代)陵 ここは遠くから見ただけ→ 吉備姫王墓(きびつひめおおきみはか)の猿石 墓の柵内に猿石が4体ある。

第二回歴史ウォーキング案内
 飛鳥に都があった100年間を偲んで歩く。−蘇我氏の野望−

日   時: 2009年6月21日(雨天順延)9:30集合

集合場所: 近鉄橿原線「橿原神宮前駅」

持参装備: 弁当、お茶、替上下着、雨具、その他

会費  : 500円


亀型石造物    

コース :
 飛鳥も、歩くにはあまりに広いので、今回は橿原神宮前駅から推古天皇即位の豊浦宮を皮切りに、甘樫ノ岡、水落遺跡、石神遺跡、酒船石、飛鳥浄御原宮(飛鳥板蓋宮)、河原寺、亀石、欽明天皇陵とめぐって、飛鳥駅まで約6kmを歩きたいと思います。散策路については、当日「飛鳥パスポート」と地図をお渡しします。
 
蘇我氏が有力になると、飛鳥はにわかに政治・経済の中心地となり、新しく受け入れられた仏教文化は、この地にはじめて開花した。天皇の宮、豪族の館・邸宅、大寺院などが建ち並び、日本の古代国家は、飛鳥を中心に形作られて行く。飛鳥地方には、古く4,5世紀に応神天皇や允恭天皇の宮があったと伝えられ、6世紀前半には顕宗・宣化天皇の宮がつくられたようだが、飛鳥に次々と宮が作られるようになったのは、推古天皇の豊浦ノ宮(とゆらのみや/とようらのみや)からである。宮は、初め天皇の住まいが主で、同時に政治の場を兼ねていた。天皇の代が代わるごとに移され、一代の間に2,3回移ることもあった。国家体制が整備されるに従って、中国の制度に習い天皇の住まいの他に多くの役所が宮の中に建てられるようになり、やがて宮の周囲を市街が取り囲み「京」と呼ばれるようになる。593年、推古天皇が飛鳥豊浦ノ宮にて即位し、以来約100年間、歴代の天皇は宮を飛鳥の地に集中的に営み、飛鳥は政治の中心地となり、大陸の先進文化を摂取し斬新・華麗な飛鳥文化が花開いた。この宮の時代に飛鳥寺が完成する。仏教が盛んになり、各豪族が競って寺院を建立する。つまり飛鳥時代とは、先立つ古墳時代の後を受けて、これらの「寺院」と「宮都」が形成されるようになった時代と言える。そしてそれは、「寧所にいとまあらず」という戦乱と混乱の古墳時代に終わりを告げて、中央集権を基盤とした「大和朝廷」がその権力構造を盤石のものとしてゆく時代であるとも言えよう。 (了)