平成25年度西南良か女の会
開催日時 2013年04月10日((水曜日))
開催場所 兵庫県(篠山市)
今年の良か女の会は丹波篠山を訪れます!徳川家康が大阪城攻略の為に築いた篠山城址、歴史的保存
地区である街並みをガイドさんに案内して頂きます。皆様のご参加をお待ちしています。
記
日時:平成25年4月10日(水曜日)
費用:5000円
参加申込先:mixiイベント欄 seinankansai-M@yahoogroups.jp(支部ML)
yokaonna@yahoogroups.jp (良か女の会ML)
コース
9:21発 大阪 丹波路快速(篠山口行)(尼崎発9:27、伊丹9:34発、三田10:00発)
↓ 前から2両目に乗って下さい。JR費用は各自負担
10:27着【到着駅】篠山口
10:39 篠山口駅前神姫グリーンバス発 各時間39分、09分発 1時間2本
↓ グリーンバス篠山営業所 TEL.079-552-1157
10:53 二階町(にかいまち)着
↓
11:00 江戸親伝(えどしんでん)で良か女の会開催 Aランチ3/9予約済
兵庫県篠山市乾新町174 二階町バス停徒歩1分 電話 079-552-7866 福島さん(女性)
元篠山城主のご典医の自宅として使われていた300坪のお屋敷
12:30 篠山観光案内所前でガイドさんと合流し 丹波篠山観光 3時間コース
篠山観光案内所 TEL: 079-552-3380 丹波篠山観光協会 TEL: 079-506-1535
16:06 二階町バス停発(一本前は15:36発→15:50篠山口着)各時間06、36発
↓
16:20 JR篠山口着
16;41 篠山口発 丹波路快速 15駅 (一本前は16:08→17:15大阪駅着)
↓
17:48 大阪駅着
2013年04月13日 14:39 okawan
うえちゃんさんが良か女の会ご報告原稿を書いていただきました。ありがとうございました。
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4月10日 曇り時々晴れ 散策良好日和
今年は丹波篠山城の観桜に西南よか女が9人集結。まずはアンティ−ク・カフェ・レストラン(元篠山城主の
御殿医の館)でモダン・ブリティッシュ・ランチ。食後のcoffeeは各人が好みのアンティークカップで頂きま
した。出足から幸せの歓声で大騒ぎ。
昼からはボランティアガイドさんの案内で篠山城下を散策。どこも桜や桃やチューリップ等春の花が咲き揃っ
ていました。
・城は藤堂高虎の縄張りで築城された平山城で大書院や石垣、内堀、外堀、石垣などの城郭遺構は昔のままの
姿を留めていた。
・城の大書院の屋根は「■(こけら)葺き」楢の木片を重ねていく屋根葺きであるが、このカンナ屑を払い落
とすことを「■落とし」という。歌舞伎の「こけら落とし」はここからきている。
・城の内堀は箱掘りで、800m毎に区切られ水の流れを調節していたという。
・篠山がデカンショ節の発祥地であったこと。
など、少し知識が増えました。ガイドさんの機転で篠山市役所を訪れ市長室を見学。ここから見える篠山城は
桜に映え最高に美しかったです。その後、御徒町武家屋敷筋、妻入り(間口が狭く、入り口がある)商家筋を
散策し、地元の春の山菜を沢山買って帰路につきました。満腹の一日でした。
江戸親伝(えどしんでん)・アンティ−ク・カフェ・レストラン
モダン・ブリティッシュ・ランチ
2013年04月13日 16:28 ポプラ
うえちゃん
モダン・ブリティッシュ・ランチ食べたかったわあ、残念!
篠山はこけら落としやデカンショの発祥地、初めて知りました。
【デカンショ節】
デカンショ デカンショで半年暮らす ヨイ ヨイ
あとの半年 寝て暮らす ヨーイヨーイ デカンショ
雪がチラチラ 丹波の宿に ヨイヨイ
猪(しし)が飛び込む ぼたん鍋 ヨーイヨーイ デカンショ
丹波篠山 山奥なれど ヨイヨイ
霧の降るときゃ 海の底 ヨーイヨーイ デカンシショ
丹波篠山 鳳鳴(ほうめい)の塾で ヨイヨイ
文武鍛えし 美少年 ヨーイヨーイ デカンシショ
酒は飲め飲め 茶釜で沸かせ ヨイヨイ
お神酒あがらぬ 神はなし ヨーイヨーイ デカンシショ
灘のお酒は どなたが造る ヨイヨイ
おらが自慢の 丹波杜氏 ヨーイヨーイ デカンシショ
私しゃ丹波の かち栗育ち ヨイヨイ
中にゃ甘味も 渋もある ヨーイヨーイ デカンシショ
ボランティアガイドさんの案内を聞く
藤堂高虎の縄張りで築城。石垣、内堀、外堀などの城郭遺構は昔のままの姿です。
篠山城入り口。良か女勢揃い。(余暇女だったりして)。
【篠山城跡】 井上筑前(邪馬台国大研究「丹波篠山の旅」より)
江戸幕府を開いた徳川家康は、慶長13年(1608)に実子「松平康重」を常陸国の笠間城から丹波八上城に移し、
西国諸大名に対する抑えの拠点として、京都から山陰、山陽そして大阪へ通ずる要衝の地であり、江戸幕府最
西端の拠点として丹波笹山に新城の築城を命じた。関ヶ原の合戦に大勝したとは言え、大阪に残存する豊臣氏
一党やその息の掛かった西国の諸大名に対して、家康はまだまだ安心できなかったのである。
当時この地は八上領で、八上城(やかみじょう)に居住する外様大名前田氏がいたが、家康はこれに改易を命
じ、庶子松平康重を八上領に入部させた。しかし八上城は中世の城で攻守に適せず、新たに新城を造ったので
ある。八上城の西方に広がる盆地内の笹山の小山に、普請総奉行に池田輝政(姫路城主)、縄張りに藤堂高虎
(津城主)を配し、近畿、中国、四国の15カ国20藩の大名の夫役による天下普請として築城が開始され、翌
年の慶長14年に、笹山に新しい平山城が完成した。これが篠山城である。
別名「桐ガ城」とも呼ばれた篠山城は、着工以来二百余日という突貫工事で完成し、以後松平三家8代、青山
家6代の居城として栄えた。方形約400mと小規模ではあったが、要所には二重の桝型や二重、三重の石垣
を巡らせた堅固なもので、城全体の構えの広壮さといい、堀といい石垣といい、禄高5万石(後に6万石)の
小藩の城としてはいささか分が過ぎると言われ、「さすがは内府様(家康)のお声がかり、天下普請の城じゃ
わい」とささやかれた。
明治維新後に城の建物は全て取り壊されたが、城郭・堅固な石垣はすべて昔のままの姿をとどめており、満々
と水をたたえた外壕は、現在篠山市民の桜の名所として知られている。戦前までは豪奢な大書院と庭園が残っ
ていたが、昭和19年(1944)の火災の為焼失し、近年(平成12年)大書院が復元された。
篠山城大書院。屋根は楢の木片を重ねていく屋根葺き。
「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」。最近の花はあまり苦しい事はなさそうですね。
「花の命は超ながく、楽しきことのみ多かりき。その分旦那にがまんして!」
篠山城のつづきです。
御徒町武家屋敷群を歩く
丹波 永琴堂。
武家屋敷安間家。
【武家屋敷・安間(あんま)家資料館】 井上筑前(邪馬台国大研究「丹波篠山の旅」より)
武家屋敷・安間家住宅は、江戸時代末期の天保元年(1830)に御徒士町一帯で大火事があり、その後程なく建
てられた武家屋敷で、代々安間家の住宅として使用されてきた。安間家は篠山藩主青山家の家臣で、天保8年
の絵図によれば禄高は、「高12石3人扶持」となっており、篠山藩の標準的な徒士住宅であった。当時の遺
構としては、茅葺きで曲屋形式を残す母屋と、瓦葺きの土蔵が残っている。母屋は建築当時の様子をよく残し
ており、平成6年3月23日付で篠山市の市指定文化財となり、その年の10月から平成7年3月にかけて全
面的な改修を行い復元し、史料館として一般に公開している。
母屋は正面を東に向け、間口6間半(約13m)、奥行き7間半(約15m)あり、部屋割りは正面に向かっ
て左に玄関、右奥に、庭園に面した8畳の座敷を配置し、玄関奥には台所、座敷奥には仏間、居間が続いてい
る。館内部には、安間家に残された古文書や日常に用いられた食器類・家具はじめ、寄贈された篠山藩ゆかり
の武具や史料が展示されている。
【武家屋敷・安間(あんま)家資料館】 続き
これまで古代史の「遺跡巡り」のかたわら、よくお城と城下町巡りもやった。私も城下町の生まれなので、城
下町の構成や歴史にも人一倍興味がある。城主や藩主の持ち物や書画骨董のようなものは、その大名の格式や
財力によりだいぶ違いがあるが、一般藩士の住居・財産(持ち物)などは、日本中ほとんどの城下町で均一の
ような気がする。加賀藩の家老のように、家臣でありながら大名並みの石高(5万石)を貰っている侍や千石
以上の扶持侍は、日本の侍の中でもごくごくわずかで、殆どの侍たちは100石以下なのだ。10石、20石
という侍達を底辺として日本の武士集団は構築されていたのである。だとすれば、今の城下町に残る下級武士
の家屋が、どこへ行っても同じような格好をしているのもうなずける。
石と言う単位は、人間が1年間に食べる米の量を基準にして設定されたものであり、kgに換算すると1升=
10合=約1.5kgであるから、1石が約150kgとなり、また、1石=10斗=100升(1,000合)という
関係があるので、この安間家の扶持は12石だから1,200升=1800kgとなる。銘柄によっても異なる
が、今スーパーマーケットで米を買ったら10kg入りの袋が4000〜5,000円くらいなので、180x4,500円と
して、12石を現在で小売りすれば81万円の年収という勘定になる。これはずいぶん乱暴な換算法なので、
当時の年収を正確に把握できる訳では勿論ないが、なかなかおもしろい計算だと思う。
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御徒士町武家屋敷 問い合わせ/西新町95 52−6933
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【利用の案内】
開館時間: 午前9時〜午後4時30分
休館日 : 毎週月曜日(休館日が祝祭日 のときはその翌日)、年末年始(12月25 日〜1月1日)
入場料 : ○大人 200円 ○高校・大学生 100円 ○小・中学生 50円
ガイドさんの機転で篠山市役所を訪れ市長室を見学。
その後篠山市長室から篠山城を見物
2013年04月13日 15:57 ポプラ
okawanさん
沢山の写真を見て篠山見物をした気分になりました。市長室からの桜の眺めは特にスーパー.グー!
大阪では既に葉桜なのに、丹波ではたっぷり桜見できて okawanさんの熱意が通じましたね。
歴史とたべものと景色と3拍子そろって ほんま、良か女たちタイ。。
市長室から見る篠山城
次に行ったのは河原町妻入商家群
【河原町妻入商家群】 井上筑前(邪馬台国大研究「丹波篠山の旅」より)
河原町妻入商家群は、城下町篠山の商業の中心だった。河原町はいかにも旧街道といった町並みで、
篠山城築城後まもなく町づくりがはじめられ、城下町篠山の商業の中心として栄えた。町並みは、
妻入商家に代表され、5mから8mほどの狭い間口だが奥行きは大半が40m以上と深くなってい
る。京都の町屋とよく似ている。注目すべきは、表構えの大戸、千本格子や荒格子、しとみ 、中二
階格子、ムシコ窓、さらに袖壁、うだつが残り、往時の姿を今に伝える景観をを織りなしている。
藩制時代はもとより中世から近世にかけての能面、装束、楽器など貴重な品々を展示する能楽資料
館、山車を治めた鳳凰山、丹波古陶館、観音寺などが建ち並ぶ、どこか懐かしい町並みである。
篠山市立歴史美術館
2013年04月13日 15:57 okawan
歴史美術館前の切支丹の石柱は、隠れキリシタンのものです。藤堂高虎の時代切支丹の信者が増え
それを恐れた支配者が弾圧を加えたそうです。 今になって、あちこちの民家から隠れキリシタン
が守り継いだマリア様像など発見されているそうです。
【篠山歴史美術館】 井上筑前(邪馬台国大研究「丹波篠山の旅」より)
この歴史美術館は、明治24年(1891)、篠山地方裁判所として建築され、昭和56年(1981)6
月まで実際に裁判所として使用されてきた。中には裁判所の法廷がそのまま残されているが、いか
にも古い。しかしその古さが、今となっては我が国最古の木造裁判所という名誉を担うことになっ
た。篠山市では、重要建造物として末長く保存するため、外観および 旧法廷を従来の姿で残し、
その他は美術館にふさわしく内部を改造した。当館内部には、城下に伝わる武具漆芸 絵画などの
美術品をはじめ、江戸時代末期に篠山藩窯として開窯した磁器窯「王地山焼」の名品の数々、さら
に古代からのこの地方の文化を物語る埋蔵文化財等々を一堂に集めて展示している。
この建物は、中央に玄関車寄せを置いて、全面左右に法廷を配したE字型で、内部は殆ど装飾のな
い簡素なつくりになっていて、簡素な中に重厚さを醸し出す雰囲気になっている。
(案内パンフレット)
昭和57年4月に内部を改良し、美術館としての機能を付け加えて新しく歴史美術館としてオープ
ンした。
2013年04月13日 19:02 カナカナ子
okawanさん、うえちゃん、写真と報告をありがとうございます。
お二人ともきっちり記録していてくださったんですね。
ぼんやりと聞いてへ〜と感じていただけの私にはとてもまねできません。
ポプラさん、今回の「よか女の会」は上出来でした。
桜はちゃんと待っていてくれたし、ガイドさんはとっても知識が豊富で案内が素晴らしく、最後は一度
お別れしたのにわざわざまた送りに来てくださいました。
そしてなんといってもよか女たち全員がとてもよか女たちでほんに楽しかったですよ。
来年は一緒に行きましょうね。
2013年04月13日 21:04 クッキー
okawanさん、うえちゃんさん、さっそくのUPありがとうございます。
前に来た時は漫然と観光しましたが、やはりガイドさん付きは勉強になっていいですね。
早朝の地震にはびっくりでしたがどなた様も被害はありませんでしたか?
西南学院大学同窓会・関西支部HP / よか女の会 / 2013.4.1 丹波篠山城の観桜